昔からあったビワの葉療法・枇杷の歴史とは?

◆ビワに薬効があることは昔から言い伝えられてきた

枇杷は、私たちには馴染みのある果物でスーパーに並ぶとそういう時期なのね~と買って食べる
こともしばじはありますよね。
最近は、あれちょっとお高いかな?って感じてるのは私だけかしら。

私の実家の田舎では、わりと枇杷の木が路上にあったりします、まあ、人のお宅のビワの実は
とるわけにもいかないのですが。。

馴染みのある枇杷の木、こんなに人のお役に立つ木だとは、知りませんでした!

それでは本題です、ビワの歴史についてお話しますね。

◆日本にビワの木が来たのは弥生時代

枇杷の木が日本に入ってきたのは、弥生時代といわれています。
初めは九州や四国に自生するようになったそうですよ。

そして奈良時代位から、ビワの葉療法が本格的に伝えられています。
それは、仏教医学の一つとして広まったようです。

すごい、そんな時代からビワの葉療法ってあったのですね!

その当時は、仏教のお坊さんがこの枇杷療法を使い熱心に病気でお困りの方を
救うために活動をされていたそうです。
その頃のお寺にはビワの木を植えるお寺がたくさんあったと言われています。

◆貧しき庶民の暮らし、貧民や病人の為に

この時代、中国にならって国の制度を整えるために律令制度ができました。
しかし、庶民の暮らしは一向に貧しく家の無い貧民、病人がたくさんいたそうです。

この状況に心を痛めた光明皇后が天平2年(730年)に『施療院』をつくり病気で
悩み苦しむ人たちを救ったと伝えられています。

そして、この施療院でもビワ療法が行われたそうですよ!
さすが光明皇后さん。

◆『施療院』でのビワ療法はどんなだったか?

『施療院』では、ビワの葉を火であぶり、ビワの葉が熱いうちに患部にあて摩擦していたそうです。
とてもシンプルなやり方ですね、今ではいろんな施術方法があります。

私がまだビワの力を知らなかった頃聞いたとしたら、ビワの葉を火であぶり、ビワの葉が熱いうちに患部にあて摩擦?『おまじない?』ちゃう?になっていたかと。。無知は怖い。

でもね、今は違いますよ、ビワのすごい薬効成分をこの身を使って体験してますからね~。

ビワの葉には、実際にさまざな薬効成分が含まれていますが、植物のもつエネルギーともいうべきパワーがつまっていて、そのパワーを頂いていることにもなりますね。

◆ビワの葉療法はやがて全国デビューに

その後、この効果のあるビワ療法は全国に広まり、その地域ごとのいろんな発想で創意工夫され検証されていったようです。

また、江戸時代に、ビワの葉に甘草・桂枝等の生薬を入れた『枇杷葉湯(びわようとう)』という飲み薬が発売され京都や江戸で大ヒットしたそうです。

まあ、今でいうところの健康食品、サプリメントのようなものでしょうか?今も昔も健康美容の重要性は変わらないんですね~。

この『枇杷葉湯(びわようとう)』効果効能は、夏負け日射病、食あたり、などを予防する薬として行商人が、大きな声で、この薬の宣伝し、売り歩いたそうです。

すごい、今の時代大声で歩きながら効果効能を言う、こんなことはしませんが、現在では、その昔は訪問販売、そして今はテレビ広告やネット広告といったところでしょうか。

この時代には、枇杷葉湯だけでなく、ビワ葉だけを煎じた薬もあり皮膚炎の治療や美容の入浴剤としても使われていたようです。

確かに、ビワの葉は美容にいいですよね、今まで高価な化粧水やクリームはなんだったのかと反省します。
私も化粧水やクリームをビワエキスいりのものを使いシワが伸びた!を実感しました。

◆ビワ療法が広まった各地域での言い伝えあるある

今でも、各地域でビワのまつわる言い伝えがあるそうです。

四国や千葉県での言い伝えは『ビワの葉を口に入れていると船酔いしない』今でむいうと車酔い
する人には効果あるのかな?ほんま?今度やってみよう~

旅行や遠出の時には、ビワの葉を持参する習慣のある地域や、医者いらずと言っている地域などが
あるようです、私の地域では、医者いらずはアロエですけど。。

また、ネットなどで良く見るのが、『枇杷を植えると病人が出る』という言い伝え、聞いたことありますわ。
なんか、縁起悪そうな言い伝えですがこの迷信の本当の解釈は、ビワの木があると枇杷の葉に効果効能がある為に病人が訪れる、ということのようです。あーよかった真実を知れて。

枇杷の木は決して縁起のわるい木ではないですからね、人類を救う素晴らしい植物です。

◆江戸時代後半、女性が日本のビワを食用に改良した

一番最初に日本に入ってきた枇杷の実は、丸い小粒の球の形だったそうで味もおいしくなかったそうです。

現在の卵形の形状の美味しいビワができたのは、江戸時代後半、それ以降日本で本格的な食用の枇杷が栽培され

るようになりました。

この美味し枇杷の品種は、中国南部から長崎に運ばれてきた『唐びわ』の種から誕生したそうです。

これを誕生させた功労者は、なんと代官所の奉公人の“おしお”さんという女性だそうで、おしおさんは
自分の畑にその種を植えて育てたのが最初と言い伝えられています。

そのビワは、長崎で栽培されるようになり、これが日本を代表する品種『茂木』種の元祖となり長崎県は
日本一のビワの産地となりました。

おしおさんのおかげですね、『おしおビワ』っていう名前でもよかったかもしれませんね。

今は『茂木』種だけでなく、『田中・長崎早生・大房』等々の品種があり栽培地も鹿児島・熊本・佐賀・愛媛
千葉等々にひろがっています。

これもひとえにおしおさんのお陰ですね。

◆ビワの歴史を学んで

枇杷には、これまでに長い歴史があり多くの人がその恩恵をうけてきたのだと思います。

現在は、ビジネスとしてものを売る為に、さまざまな健康食品やサプリメントがテレビやネットでの広告戦略がおこなわれ、私たち消費者もやはり、宣伝力のあるものに目が行ってしまいます。

その中には、売らんがための誇大表現が多々あり、品性をかく売り方、見せ方に引いてしまう時も多々あります。

本来は、もともとある身近な植物のお力をかりて健康になっていくのが理想ですが、たまたまビワの木が近くに自生していない地域の方や、忙しくてビワエキスやビワの葉茶をつきる時間がない方々のために、製品があるという程度のものでよいのではと私は思っています。

そんなこんなの最近思ったこととビワの歴史でした♪

◆まとめ

①日本にビワの木が来たのは弥生時代。
②奈良時代位から仏教医学の一つとしてビワの葉療法が本格的に伝えらる。
③光明皇后が天平2年(730年)に『施療院』をつくり、病気の人を救った。
④江戸時代に、ビワの葉に甘草・桂枝等の生薬を入れた『枇杷葉湯(びわようとう)』という
飲み薬が発売。
⑤『枇杷を植えると病人が出る』は迷信。
⑥日本の食用ビワは、おしおさんという女性が作った。


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